ま、この件にかんしては
本当にいろんな感想や意見があるだろう。
コメントせずに、PCの前で思っただけの人もいただろう。
あるコメントを拝見して、私が思ったこと。
長くなりそうなので、記事として再び取り上げたいと思う。
クワバタオハラのチチ出し騒動後の謝罪。
確かに芸人の取る行動ではなかったように思う。
仰せの通り、芸人失格かなとも思う。
けど、カンニング竹山氏が
『ココでチソコ出します』
や
『ココでウ●コします』
って言って許されるのは・・・
やっぱり男だからでは?
男って・・・
下半身出せば、やっぱ少なからず笑いは取れるし。
その証拠に・・・
ほら、宴会芸とかの笑いでも、昔から引き継がれてるでしょ?
もちろんカンニングにも、それなりに苦情はきてただろう。
でも相方の阻止があって、笑いとして成り立ってるのだと思う。
あ、竹山の場合笑えないがね。
Aが自分のチソコ出そうとして、Bがそれを阻止できた場合。
AがBにズボン脱がされそうになって、
それを、Aが必死になり阻止できた場合。
AがBにズボン脱がされそうになって、
それをAが必死で阻止して、結局脱がされてしまった場合。
これなら笑いとして確立できる可能性はあるんではないか。
大爆笑を取れるかどうかは別として。
ではこれを、女に置き換えてみよう。
Aが自分のチチ出そうとして、Bがそれを阻止できた場合。
AがBに服を脱がされそうになって、
それを、Aが必死になり阻止できた場合。
AがBに服を脱がされそうになって、
それをAが必死で阻止して、結局脱がされてしまった場合。
どの場合でも笑えないんではなかろうか?
たとえ美人であろうがブスであろうが。
ウハウハ感は置いといたとしても、
やはり『笑い』は取れないだろう。
『チソコ』って、
言葉も物体も、笑いを引き出すパワーが潜在してるんでは?
ウ●コも然り。
やっぱ、チソコって言葉には、
幼い頃から親しみあるし(私だけか?)
チソコは芸術として、過去の有名な作品にも
描かれたり、彫刻としてしっかりと残されている。
教科書にも取り上げられるほど、
実にさわやかな存在であるコトが証明されている。
テレビで、芸人がパンツはいてなくて
モザイクかかってたり『丸金』印で隠されてたりすると、
やっぱ笑いは起こるし。
でも、
公共の電波で女がマソコ出そうとしたら・・・
チャンネル変える手は止まるだろうが、
やっぱヒクだろう。
オアシズの大久保みたいなのもいるけど、
やっぱ引いてる笑いだよなぁ。
それはやっぱ、男が女を性対象として
強く見てる部分があるから?
笑いの取れない形してるからか???
先ほど
『チソコって言葉には、幼い頃から親しみがある』
と書いた。
では、『マソコ』はどうだろう?
とてつもなくいやらしい言葉ではないか?
この言葉を覚える時期・・・
平均的には
『思春期』ではないだろうか?
異性を強く意識し始める時期だ。
私は小3で覚えましたが女は常に、男の性的対象として
言葉の上でも翻弄される。
男ってさ、女がチチ出すって聞けば
とりあえずチャンネル変える手が止まるだろう。
それはちょっとしたワクワク感と下心で。
だってチチだけで抜けたりするじゃん。
現に、水着でも抜ける男がいる訳だ。
でも、チソコは違う。
カッチンコッチンじゃなきゃ女は抜けない。
いや、私だけかも知れんけど。
クワバタの謝罪は、そういう男女の差を
身を持って体験してのコトではないだろうか。
男と女=チソコとマソコ。
いや、クソマジメな見解でスマソ。