頂いたコメントの中で、
気になるコメントがあったので、
死についていろいろ考えてみました。
私も、亡くなった友人が数名に、
自殺した身内や先輩、知人等いて
自殺については、なぜ死を選ばなきゃいけなかったのか、
救ってあげられなかったのか、
理由を知っても納得できないこともあり、
どうしようもない気持ちになりました。
『生きてればいいことがある』
『生きていれば嫌なこともある』
なんてよく聞くけど、真剣に悩んで最終的に死を選んだ人を、
時間巻き戻したところで、そんな簡単な言葉で救えるのだろうか?
無責任なことは言いたくない。
私自身、学生時代にすごくすごく落ち込んで、
どうしようもなくて、そのときの親友に
『もう死にたい』って言ったことがあったんです。
そのとき、親友が私に言った言葉。
『そんなに死にたきゃ死ねばいいじゃん』
でした。
その言葉にはっとしました。
本当に死にたいと思っていたのか?
軽々しく『死にたい』なんて言ってはいけないんだって。
なんて言葉を口にしたんだろうって。
それから少しの時が経って、ある日。
彼女は私にこう言いました。
『裏おんなが男だったら、周りにおかしく思われずに付き合えるのに』
それは、彼女なりの、私への告白だったのだと思います。
以前からなんとなく『・・・あれ?』と思う発言はありましたが、
彼女と好きな人の話で盛り上がったりもしていたので、
勘違いかと思っていたんです。
でも、彼女にとっての私は、恋愛対象だったのでしょう。
最初からそうだったのかは分かりません。
過去にも同性を好きになったことがあるのかも分かりません。
女性も男性も、性別関係なく愛することができる。
本当はそれこそ素晴らしいことのはずなのに・・・
私は、その日からなんとなく彼女との距離を作るようになりました。
今なら、同性愛への偏見もありませんが、
その時はどうしても、彼女とまともに向き合うことができなかったんです。
離れ離れになり、そのうち
会うことも、連絡を取り合うこともなくなりました。
月日が流れ、私はAV業界に入り、
いろいろな性のかたちを知りました。
偏見もなくなり、彼女とも普通に話せるようになる。
そう思っていました。
彼女は突然亡くなりました。
交通事故でした。
彼女の死を知らせる電話を貰ったとき、
私は彼女に対し、なんてことをしたんだろう、と思いました。
彼女に対する偏見がなくなったそのときすぐに、
忙しさのせいにして彼女に連絡をとらなかったこと、
最低だと思った。
彼女に伝えたかった。
偏見の目でみてしまったこと、
距離を置いたこと、
手紙が届いても、返事を書かなかったこと、
ごめんなさい、と。
彼女が私に言ったあの一言。
今でも一番心に残る言葉です。
あの時彼女が
『そんなに死にたきゃ死ねばいいじゃん』
と言ってくれなかったら、
私は今でも、ちょっとしたことで
『死にたい』と口にするような
小さな人間だったと思います。
だからこそ、ありがとうを伝えたかった。
人の死そのものは、残された人間の命を削るものでも、損益を出すものでもない。
人の死をプラスに変えられないか。
こういった内容のコメントをいくつか頂きました。
レスで『人の死がプラスになることはありえない』
と答えましたが、どのように物事に整理をつけ、
どのように立ち直るかが問題なのではと思います。
亡くなった人間の思いをどうやって受け継ぐか。
亡くなった人間のことを思い出しては、
『あなたと出会えたことに感謝。残してくれた行動や表情や言葉を忘れない』。
そう思えたときに、初めて
人の死を乗り越えたと言えるのだと思う。
そして、亡くなった人間の輝きを、
自分の輝きに変えることができたとき、
それこそが、『プラス』なのだと思う。
人は、ただ生まれて、ただ死んでいったわけではない。
生まれてきて、ただ平凡に生きていても、
誰かしらになんらかの影響は与えていると思う。
私もきっと、そうだと思いたい。
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